ブログ│宗教法人 稱念寺

オフィシャルブログ

玉虫

昨日、境内で玉虫の死骸をみつけました。私が小さい頃、40年前までは、この時期になると玉虫を見かけたのですが、めっきり見ることができないようになりました。

玉虫は「金運アップの縁起物」だそうです。どんな良い事が起こるのか楽しみです。笑

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住職法話6月「困難な道」

星野富弘さんという方をご存知でしょうか。

24歳の時に不慮の事故で手足の自由を失っても、前向きに生き、口に筆をくわえ、詩や絵を描いて、50年。命の尊さを伝えておられます。

本の題名にもなっている「鈴の鳴る道」のエッセイをご紹介させていただきます。

 

電動車椅子に乗っていると、少しのでこぼこでも進むのが大変だ。
だから、なるべくでこぼこの道は避けて通ってきた。
知人から小さな鈴をもらって、車椅子につけた。
偶然、でこぼこの道を通った。いやだと思いながら。
そのとき、何とも言えない心に響く鈴の音が聞こえてきた。
何度も何度もそのでこぼこ道を通って鈴の音を聞いてみた。
その日からでこぼこ道を通ることが楽しみになった。
「人も皆、この鈴のようなものを、
心の中に授かっているのではないだろうか。」
その鈴は、整えられた平らな道を歩いていたのでは鳴ることがない。
人生のでこぼこ道にさしかかったとき、揺れて鳴る鈴である。
美しく鳴らしつづける人もいるだろう。
閉ざした心の奥に、押さえ込んでいる人もいるだろう。
私の心の中にも小さな鈴がある。
その鈴が澄んだ音色で歌い、キラキラと輝くような毎日を送りたい。
私の行く先にある道のでこぼこを、なるべく迂回せずに進もうと思う。

 

辛く困難な道をどうしても避けることができなく、覚悟を決めて進んでいく、いや、あえて困難な道、でこぼこ道を進む。その時に鳴る鈴の音色は私たちを癒してくれます。

このコロナ禍で人生設計ががらがらと崩れた方は少なくありません。

避けて通ることのできない時に、信仰の鈴がしっかりと自分の心にあるのか。それが信心であります。

すべて阿弥陀様任せで過ごしていきましょう。頑張らなくていいのです。頑張るの語源は「我を張る」。張り詰めたままでは心も身体も病んでいきます。阿弥陀様に委ねてまいりましょう。合掌

 

今年初の蓮が咲きました

5月27日今年初めての蓮が咲きました

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6月掲示板

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住職法話5月「お念仏と共に」

八木重吉さんという詩人が、こういう短い詩を書いています。

「草をむしれば あたりが かるくなってくる わたしが 草をむしっているだけになってくる」

念仏者は

「念仏すれば あたりが かるくなってくる わたしが 念仏をもうしているだけになってくる」

ただひたすらに念仏を称えている、念仏三昧になっていけば、念仏が相続できたことになるでしょう。

吉田兼好さんの「徒然草」の第39段に

ある人が法然上人に「念仏を唱えているとき、睡魔におそわれ仏道修行をおろそかにしてしまうことがあるのですが、どうしたらよろしいでしょうか」と訪ねたら「目が覚めているときに、念仏を唱えなさい」と答えたそうです。とってもありがたいお言葉であります。

頑張れと励ますわけでもなく、眠るなという事もなく、ありのままでいいんだと。

寛容なお言葉であります。しかし、それに怠けるのではなく

「信をば一念に生まると信じて、行をば一行に励むべし」

1回のお念仏でも往生できるみ教えであると信じで、お念仏の修業は一生涯続けてまいるのであると、法然上人はおっしゃっておられます。

是非とも、一生涯、お念仏と共に生きてまいりたいものです。

5月掲示伝道

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住職法話4月「心静かに」

便利な世の中になったのに、現代人は慌ただしく生活をしています。

コップの中の泥は、放置しておくと、やがて水と泥に分離します。

心を静かに保つためには、ぼんやりする時間も必要ではないでしょうか。

時間があれば、電車内や食事のつかの間でもスマートホンをいじっています。

何も考えずに過ごすこと、立ち止まって見る事はとても大切な事だと思います。

 

「正」とは「一(ひとつ)」「止」と書きます。

一日一回でも、立ち止まり、自分を顧みる事が正しい行いにつながります。

心静かになれる場所がお寺の本堂であり、ご自宅の仏壇の前ではないでしょうか。

どうか合掌して心静かになることも大切です。合掌

4月掲示伝道

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住職法話3月「祝聖文(シュクショウモン)」

天下和順 日月清明 風雨以時 災厲不起 國豊民安 兵戈無用 崇徳興仁 務修禮讓

(テンゲワジュン ニチガッショウミョウ フウウイジ サイレイフキ コクブミンナン

ヒョウガムユウ シュトクコウニン ムシュライジョウ)

上記偈文は浄土三部経の『無量寿経』の中の祝聖文(シュクショウモン)といい、意味するところは、「天下は太平であり、日と月は清らかに明るく照らし、風と雨も時に応じ、災害と疫病も起きず、国は豊かに人々は安らかに過ごし、兵や武器を用いる争いごともなく、人々は徳を崇め仁を尊び、努めて礼儀と謙譲の道を修めます」世の中が平和で、人民は安穏であるようにと願い唱える偈文であります。【浄土宗大辞典】

 

お釈迦様のお言葉であり、世界人類皆の願いでもあります。しかし、歴史を振り返ってみても争いごとは絶えなく、今もウクライナで戦争は起っています。未来に向かって同じ過ちを繰り返しています。

 

今月の掲示伝道は、「私は正しい」争いの根はここにある。

 

私は正しいと思う心があるから争うのでしょう。宗教では「懺悔」という言葉があります。

生きとし生ける物の中で、「懺悔」するのは人間だけでしょう。日々自分を見つめ直し我が身を反省することがとても大切であります。

賢くなることを教える世の中で、自らの愚かさに気づかせてくれる教えが仏法であります。

どうぞ、み仏様に手を合わせ、お念仏をお称えしてまいりましょう。合掌

3月掲示伝道

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