第10回「いつもありがとう作文コンクール」(2016)で最終優秀賞を受賞した、新潟県柏崎市の松橋一太(まつはし いった)くんが書いた作文「てんしのいもうと」を紹介させていただきます。
僕には、てんしの妹がいます。
夜中、僕は、お父さんと病院の待合室に座っていました。隣にいるお父さんは、少しこわい顔をしています。いつも人でいっぱいの病院は、夜中になるとこんなに静かなんだなあと思いました。
少したってから、目の前のドアが開いて、車いすに乗ったお母さんと看護師さんが出てきました。
僕が車いすを押すと、お母さんは悲しそうに、歯を食いしばった顔をして、僕の手をぎゅっと握りました。
家に着くころ、お空は少し明るくなっていました。
僕は1人っ子なので、妹が産まれてくることがとても楽しみでした。お母さんのお腹に妹が来たと聞いてから、毎日、ぬいぐるみでおむつがえの練習をしたり、妹の名前を考えたりして過ごしました。
ごはんを食べたり、おしゃべりしたり笑ったり、公園で遊んだり、テレビを見たり、いままで3人でしていたことを、これからは4人でするんだなあと思っていました。
でも、春休みの終わり、トイレでぐったりしながら泣いているお母さんを見て、これからも3人なのかもしれないと思いました。さみしくて、悲しかったけど、それをいったらお父さんとお母さんが困ると思っていえませんでした。
ぽかぽかの暖かい日、僕たちは、善光寺さんへ行きました。妹とバイバイするためです。初めて4人でおでかけをしました。
僕は、妹が天国で遊べるように、おりがみでおもちゃを作りました。
「また、お母さんのお腹に来てね。今度は産まれてきて、一緒にいろんなことしようね。」
と、手紙を書きました。
僕は、手を合わせながら、僕の当たり前の毎日は、ありがとうの毎日なんだと思いました。
お父さんとお母さんがいることも、笑うことも、食べることや話すことも、全部ありがとうなんだと思いました。
それを教えてくれたのは、妹です。
僕の妹、ありがとう。
お父さん、お母さん、ありがとう。
生きていること、ありがとう。
僕には、てんしの妹がいます。
大事な大事な妹がいます。
*1年生でここまで両親の気持ちを汲むことができるのは、本当に素晴らしいお子さんです。現代はネットで自分の思う事、考えている事をストレートに表現できる時代になりましたが、はたして、他者を傷つけてはいないでしょうか。善光寺に参拝して、み仏様に手を合わせて、妹の為に純粋な気持ちで拝まれたことだと思います。今までの生活が当たり前であったが、妹を亡くして、この当たり前から有難うという事に気づかせていただいた。
感謝の気持ちを忘れずに生きていれば、本当の幸せを得る事ができるでしょう。家族の死に対して、私たちはそこで何を得るのか。色々な事に気づかせていただきたいものです。
無碍の道、お念仏の道をただ純粋に歩みたいものです。合掌