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カテゴリー別アーカイブ: 日記

住職法話「怒り」

最近テレビでよく目にするあおり運転、怒りをコントロール出来なくなっています。

煩悩の中でも怒りを瞋恚(シンニ)と言います。怒りの心が燃え上がり爆発してしまいます。

怒りの感情がでたら、冷静になることです。それには、数を数えて10秒以上経つと落ち着いてきます。落ち着かせる方法は「南無阿弥陀仏」「南無阿弥陀仏」と心の中でお念仏をお称えします。周りに人が居なければ声に出してお称えすると、怒りの感情がおさまり、なぜそのような感情が出たのか、客観的に自己を見れるようになります。

「腹が立ったら鏡を見よ、鬼の顔がただで見られる」この歌のように、鏡を見る事も冷静さを保てる一つであります。

「火は火でもって消すことはできないように、怒りは怒りでもって消し去ることはできない」穏やかに過ごせるように、心を養っていきましょう。心の強さを持っている人が穏やかな人ではないでしょうか。

9月掲示伝道

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住職法話8月「愚かな考え」

お釈迦様が、托鉢をしていた時に、大きな橋の上で、辺りをはばかりながら一人の娘がたもとへ石を入れている。自殺の準備に違いない。
娘のそばまで行かれたお釈迦様は、優しくその訳を尋ねられた。相手がお釈迦さまと分かった娘は、心を開いて苦しみのすべてを打ち明けた。

「お恥ずかしいことですが、私はある人を愛しましたが、捨てられてしまいました。世間の目は冷たく、やがて生まれてくるおなかの子供の将来などを考えますと、いっそ死んだほうがどんなにましだろうと苦しみます。
こんな私を哀れに思われましたら、どうかこのまま死なせてくださいませ」と、泣き崩れた。

お釈迦様は哀れに思われ、こう諭された。

不憫なそなたには、例えをもって話そう。
ある所に、毎日、荷物を満載した車を、朝から晩まで引かねばならぬ牛がいた。つくづくその牛は思ったのだ。
『なぜオレは、毎日こんなに苦しまねばならないのか、一体自分を苦しめているものは何なのか。』
そして、
『そうだ。オレを苦しめているのは間違いなくこの車だ。この車さえなければ、オレは苦しまなくてもよいのだ。この車を壊そう』。
牛はそう決意した。
ある日、猛然と走って大きな石に車を打ち当て、木っ端微塵に壊してしまったのだ。

それを知った飼い主は驚いた。
こんな乱暴な牛には、余程頑丈な車でなければ、また壊される。
やがて飼い主は、鋼鉄製の車を造ってきた。それは今までの車の何十倍の重さであった。

その車に満載した重荷を、今までのように毎日引かせられ、以前の何百倍も苦しむようになった牛は、今更壊すこともできず、深く後悔したが、後の祭りであった。

牛は、自分を苦しめているのは車だと考え、この車さえ壊せば、自分は苦しまなくてもよいのだと思った。
それと同じように、そなたはこの肉体さえ壊せば、苦しみから解放され、楽になれると思っているのだろう。
そなたには分からないだろうが、死ねばもっと恐ろしい苦しみの世界へ入っていかねばならないのだよ。その苦しみは、この世のどんな苦しみよりも、大きくて深い苦しみである。そなたは、その一大事の後生を知らないのだ。

そしてお釈迦様は、すべての人に、後生の一大事のあることを、諄々と教えられた

愚かな考えをしてしまうことはあります。どうしても切羽詰まり、苦しみを背負いそこから逃れようとしたい時に、私たちはその苦の原因がなくなればと考えます。

しかし、大切なのはその苦しみを乗り越えていく力を養う事でしょう。

その支えとなるのが仏教です。

毎日晴れの日ばかりでない、雨の日も嵐の日もあるでしょう。毎日晴れの日ばかりにしてくださいとはこちらの勝手、願望であります。晴れの日も雨の日もどうか乗り越えていける心を養いましょう。

 

8月掲示伝道

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住職法話7月「愚痴から感謝へ」

やっと梅雨に入りました途端に雨ばかり。嫌な時期ですが、雨も恵みと受け取りましょう。

昔昔一人の老婦人が住んでおりました。

この老婦人は寝てもさめても、天を見上げては終始泣いていることから、「泣き婆さん」と呼ばれていました。

ある日のこと泣き婆さんの噂を聞きつけ、和尚さんが哀れに思い、その家を訪ねました。「あなたは毎日泣いているが、何がそんなに悲しいのか」

「私には2人の娘がいます。一人は傘屋に嫁ぎました。天気が良い日は傘が売れず辛い思いをしているだろうと考えるだけで、涙があふれてくるのです。もう一人は下駄屋に嫁ぎました。雨の日は下駄が売れず辛いだろうとまた涙が出てくるのです。」

和尚さんは微笑んでこう諭しました。「あなたの考えは正反対ですよ。晴れたら下駄屋の娘が喜んでいると笑い、雨が降ったら傘屋の娘が喜んでいると考えればどれだけ楽でしょう」それを聞いてから老婦人はニコニコ笑顔で暮らすようになりました。

まーこれは笑い話ですが、この中には重要なことがあります。人間は苦楽の世界に住んでいますが、苦しいことばかりしか考えられないと、地獄の世界に住んでいるのと同じです。

生きていくことは本当に辛いことが多いですよね。いつの間にか腰が曲がり白髪になって老いてゆくこと。

「朝起きて 夕べに顔は 変わらねどいつの間にやら 年は寄りけり」

いつまでも元気でいたいと願っていても、病気し、思うようにならないこの体を横たえている身の辛さ。

私達はそれでも、この悲しみや苦しみを乗り越えて生きていかねばならないのです

『誰にだってあるんだよ、人に言えない苦しみが

誰にだってあるんだよ、人に言えない悲しみが

ただ黙っているだけなんだよ、言えば愚痴になるから』(相田みつを)

愚痴の言葉から感謝の言葉に変えていきましょう。

7月掲示伝道

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第8回寺塾

7月27日(土)第7回寺塾が開催されました。

手遊びで体をほぐしながらリラックスして頂き、歌「夏の思い出」を歌い、桜座一家(サクラザファミリー)「孤独について」5人の方々に語り部をして頂きました。

法話は源聖寺橋本上人「孤独について」を有難いお話を頂いました。

実践仏教は夏に各寺院で厳修されます施餓鬼法要の施餓鬼小旗を作成して頂きました。

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山門有形文化財

平成20年に有形文化財に登録され山門の掲示板ができあがりました。

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住職法話6月「一切皆苦」

一切皆苦(いっさいかいく)と読みます。お釈迦様の言葉であり、文字通り読みます「世の中の全ては苦しみである」となります。苦しい時に発する言葉で、最後が「い」で終わる言葉があります。「つらい」「悲しい」「寂しい」「やるせない」「むなしい」「はかない」「苦しい」陰性感情の言葉はたくさんあります。その反対に陽性感情の言葉は「うれしい」「楽しい」・・・・とわずかしか思い浮かびません。

言葉一つと取り上げてみても、いかに陰性感情の言葉が多いか、やはり人生苦しみの方が多いといえます。しかし、仏教の苦しみとは「何事も思い通りにならない」という苦しみであります。それを受け入れる、「拝受」することが苦しみから解放されるすべなのです。

物事をあきらかにみつめていく。諦める事です。どうにもならない事をどうにかしょうとするから、苦を背負ってしまう。ありのままをしっかりと見つめていく。今まで自分に向かっていたベクトルを他者に向けていきましょう。

腰塚勇人氏の五つの誓いの詩です。

1.口は人を励ます言葉や感謝の言葉を言うために使おう。

2.耳は人の言葉を最後まで聴いてあげるために使おう。

3.目は人のよいところを見るために使おう。

4.手足は人を助けるために使おう。

5.心は人の痛みがわかるために使おう。

 

苦しい時はシクシク泣く 楽しい時はハッハッと笑う。

シクは数字に表すと、4と9 ハッハッは数字に表すと8と8

4×9=36  8×8=64  36+64=100

よくよく考えたなら 苦しみは36% 楽しみは64%であります。

楽しみが多い人生と受け取ってまいりましょう。

金戒光明寺・真如堂・知恩院

6月24日から28日までの5日間京都にございます、浄土宗大本山金戒光明寺にて泊まり込みの布教研修でした。また近隣にございます、天台宗の寺院、真如堂に参拝しました。

真如堂はお十夜(おじゅうや)発祥の地であり、「この世で十日十夜善いことをすれば、仏国土で千年善いことをするに勝る」という「無量寿経」の教えに基づき、阿弥陀如来の法恩に感謝する法要です。550年前、室町幕府第六代将軍・足利義教の執権職をしていた伊勢守貞経の弟、平貞国が真如堂で行った十日十夜の念仏行に由来しています。

その後、 明応 (めいおう) 4年(1495)に、浄土宗大本山鎌倉光明寺の第九世 観誉祐崇上人 (かんよゆうそうしょうにん) が、後土御門(ごつちみかど)天皇に招かれ、宮中で、『 阿弥陀経 (あみだきょう) 』の講義をされ、さらに真如堂の僧といっしょに 引声 (いんぜい) 念仏を修し、 勅許 (ちょっきょ) を得て、光明寺で法要を行うようになりました。これが浄土宗でのお十夜の始まりで、今では浄土宗の大切な法要となっています。

28日早朝には浄土宗総本山知恩院にて朝お勤めと、法話を拝聴致しました。

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(朝の知恩院)