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カテゴリー別アーカイブ: 日記

ひな人形

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玄関上り口に毎年ひな人形を飾っております。

今年も飾りました。

住職法話3月「独り占め」

現代人はお互いに、俺が、俺が、と自我一辺倒で、相手の
立場に立って考えるということを忘れているようです。
その結果、政治も教育も道徳も救いようのない腐敗、混迷、
堕落を招き、人を批判することばかりで、閉塞感のある社会になっています。
ある少年のお話です。

少年には弟がいます、いつも弟とピザを分けて食べるので、少年の夢は1人でピザを食べることでした。

ある日のこと、弟と母親が買い物に出かけた留守に自分の小遣いでピザを宅配してもらいました。

「やったピザだぁ、これで独り占めできるぞう」夢が叶った瞬間でした。

少年はピザを食べながらふと思ったのです。

「何か違う、いつものピザではない、なんでこんなにおいしくないのか」

そう思いながらピザを食べておりました。その時、弟が帰ってきました。

「わぁ、兄ちゃんピザだぁ、おいしそう」

「こっち来て一緒に食べよう」兄弟仲良くピザを食べました。そうすると

「美味しい、いつものピザの味だぁ」

そこには分け合う幸せがあるのです。独り占めが幸せだと思っていたが、弟の笑顔をみながら食べるピザほど美味しものはないのです。

 

うばい合えば憎しみ 分け合えば喜び

奪い合えば不満 分け合えば感謝

奪い合えば戦争 分け合えば平和

奪い合えば地獄 分け合えば極楽

 

全てのことが平等にはならない事の方が多いかもしれません。

しかし、宗教は分け隔てなく、ただただ、阿弥陀様の救いを信じて、お念仏をお唱えすれば、どのような者でも救っていただける有難いみ教えでございます。合掌

3月掲示伝道

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住職法話2月「四天王寺」

私が小さい頃の遊び場であった四天王寺のお話をさせて頂きます。

四天王寺は聖徳太子によって創建され、仏教精神に則り、庶民救済の為に、「四箇院(しかいん)」とよばれる、敬田(きょうでん)院、施薬(せやく)院、療病(りょうびょう)院、悲田(ひでん)院の施設を造られた。仏法修行の道場である「敬田院」、病者に薬を施す「施薬院」、病者を収容し、病気を癒す「療病院」、身寄りのないものや年老いた人たちを収容する「悲田院」の四つで構成されています。現代の社会福祉施設が今から1430年前にあり、今も四天王寺にはその精神が受け継がれております。

法然上人は文治元年(1185)51歳の時に、慈円僧正に招まれ西門の辺りで念仏を唱えて日想観(にっそうかん)を修されています。
その地には念仏三昧院、念仏堂と呼称される堂宇が建立され、荒廃した後は鳥羽法皇の御誓願により短声堂・引声堂として再建され、それも昭和の戦災で焼失した為、現在は阿弥陀堂を法然上人二十五霊場と定めています。

 

高僧に高野の明遍上人という方がおられました。
この方は「法然の言うことも尊い所はあるが、念仏一行の選択はあまりに偏った見方である」と法然上人をののしっていたお方でした。
ある晩、明遍上人の夢の中に四天王寺西門が登場します。
西門の周辺には、親にも、兄弟にも、妻子にも見捨てられた重病人が幾人も横たわっています。
そこに墨染の衣を身につけた聖がたった一人で向かっていき、病人の口元へ小さな貝ですくった重湯を施しては看護し、静かに拝んでいきます。
その姿が実に尊く、通りがかった人に「あの聖はどなたですか」と尋ねると「法然上人です」との応えでした。
明遍は驚いて目を覚まし
「今まで法然上人は、偏っていると思っていたが間違いであった。病人にご馳走を出しても何の役には立たない。重湯こそが必要である。同じように、私が説いてきたご馳走のようなお釈迦様の教えも、相手に合わなければ、何の役にも立たない。念仏こそが病む人の為の教え、重湯である。」
と深く反省し、法然上人を師と仰いで、空阿弥陀仏と名を改めて、念仏に励んだということです。
み教えは大切であり、有難いことですが、誰もが修することができなければ、絵にかいた餅になります。庶民救済の精神、全ての人々が救われる道、お念仏を実践してまいりましょう。合掌

日想観

*日想観とは、太陽が沈む時に西の方角に向き、心を落ち着けて落日をじっくりと見ます。やがて太陽は沈み、辺りに静寂と夕闇が訪れますが、そこにまだ太陽が明瞭に見えるように、観想することを言います。

この際、目は閉じていても開いていても構いません。そこに太陽をありありと感じることが大切です。この修行法は、極楽浄土を見る修行で、観無量寿経に記されています。

2月掲示伝道

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住職法話1月「迷い」

明けましておめでとうございます。

本年もよろしくお願い申し上げます。

私たちは色々な事で迷います。どちらを買うのか、どれにするのか、どの道を行くのかまたは、誘われて行くのか行かないのか。あらゆることで、悩んだり苦しんだりします。

迷えば迷うほど、選ぶことに躊躇します。

せっかく誘われたことを無碍に断るのは相手に対して悪いとの思いから、本当は行きたくないという思いがあるのに、「考えとく」と返事をし、約束の日が近づいてきても決断できないでいます。さんざん迷ったあげくに、断ってしまうことがあります。迷った結果の末に断ったのだから、仕方ないことだと自分に言い聞かせ納得させます。

このように相手への配慮から、初めから断ればいい事を、迷い悩みます。

抱えるものが多くなるほど、決断することに慎重になり、いろいろな意見を聞けば聞くほど、迷い悩みます。

迷うと言えば、「幽霊」もまたこの世を迷っています。

幽霊の姿に3つの特徴があります。

1.髪の毛が長い

「後ろ髪をひかれる想」という言葉があるように、過去に対して執着がある。

2.足がない

「地に足がついてない」という言葉がるように、あっちふらふら、こっちふらふらとしている状態。

3.手は前にだらりとしている

前方に不安があることから、手探り状態を表しています。未来に不安があるということです。

上記のように迷っているのは幽霊だけではありません、私たちも迷っています。

この私たちを導いてくださるのは、阿弥陀様しかおられません。阿弥陀様が、目覚めよ、気づけよとお慈悲の心で働きかけてくださっています。そのみ心に応えるが如く、本年もお念仏をお称えしてまいりましょう

過去にこだわらず、明日に迷わず、ありのままの今を生きてまいりましょう。合掌

1月掲示伝道

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12月掲示伝道

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住職法話12月「寒苦鳥」

閑古鳥(かんこどり)が鳴く」の閑古鳥がカッコウの別名だと知っておられたでしょうか。
閑古鳥は想像上の鳥くらいに思っていた方もおられるでしょう。
カッコウは、人里離れた寂しい場所で鳴く習性があるところから、「カッコウが鳴いている場所は、寂しい場所」となり、「閑古鳥が鳴く」の慣用句ができたそうです。
さて、「閑古鳥」に似た名前で、「寒苦鳥 かんくどり(または、かんくちょう)」という名前の鳥がいます。
こちらは想像上の鳥です。
インドの昔話です。
あるところに雪山があり、そこには一匹の鳥がいました。
鳥は遊ぶのが大好きでした。
日中は雪山でもそこそこに日が照り暖かいので鳥は一日中、他の鳥や虫たちと遊びまわっていました。
ところが夜になると雪山は一気に冷え込みます。
「寒いよぉ、寒いよぉ。」
巣のない鳥は雪の中で凍えます。
そして、そんな中で鳥は決心するのです。
「よし、朝日が昇ったら、頑張って木々を集めて温かい巣を作ろう!!」
夜があけました。
朝日が昇り、あたりの気温が上昇してきました。
それにともない他の鳥たちや、虫たちも起き出してきます。
そして、それらの動物たちや虫たちは輪になって遊びはじめます。
その輪の中にはあの鳥の姿が…。
昨夜の決心はなんとやら。
なんと鳥は巣をつくることを忘れて遊びふけるのでした。
そしてまた一日が終わり、雪山の夜が来ます。
「寒いよぉ、寒いよぉ。」
鳥は吹きざらしの中で、一晩中震えるのでした。
そしてまた巣を作ろうと決心するのですが、朝になるとやっぱり遊びます。
結局この鳥はこうして一生をむなしく過ごしました。
寒苦に泣いて決心し、寒苦を忘れ遊ぶ。これを繰り返し続けるこの鳥は「雪山の寒苦鳥」と呼ばれるようになりました。
人間でもやっぱりこういう所ありますよね、人間の怠惰心。
誰が言ったか、「明日やろうは、馬鹿やろう」とは上手い言い方であります。
大切なのは、日々の一歩一歩の積み重ねであります。

お念仏も、日々何編念仏を称えるという日課を決めて、その日その日を大切にして頂きたいものです。

11月掲示伝道

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