「捨てきれない 荷物の重さ まへうしろ」 種田 山頭火
山頭火の俳句に「捨てきれない 荷物の重さ まへうしろ」があります。
山頭火は明治15年、山口県の大地主・種田家の長男として生まれました。学業優秀で、早稲田大学文学科に入学したが神経衰弱のため退学し、帰郷。結婚して子供もできたましたが、実家の種田家はその後没落してしまいました。また、10歳の頃に母親が自死、不幸も重なり、酒に走りアルコール中毒になってしまいます。ついに妻からも離縁されてしまいます。その後、縁あって42才の時に曹洞宗の僧侶となり、托鉢をしながら俳句を極めるための旅を続け59才で人生を閉じられました。
山頭火の昭和5年11月の日記に「荷物の重さ、いいかえれば執着の重さを感じる、荷物は少なくなってゆかなければならないのに、だんだん多くなってくる、捨てるよりも拾うからである」とあります。
山頭火が捨てようとしていた物は何なのか。持ち物は、着物、鉄鉢、網代笠、杖。最低限の物しか持っていなかった。
托鉢でもらったわずかなお金は大好きな酒代にあっという間に消えていきました。捨てようとしていたのは、「執着」。それは、不幸な出来事の数々、あるいは、失敗の元である酒を断てない情けなさ、そういったもやもやしたものを捨て去りたいができないというやるせなさではないでしょうか。
私たちは、自分を見つめたら、捨てきれない荷物で一杯であります。
大切な貴重な宝物の様な荷物もあるでしょう。忘れてしまいたい荷物もあるでしょう。
また、この荷物はだれにも見せる事ができない、墓場まで持っていく荷物もあるでしょう。
持っている荷物の重さに押しつぶされ、耐えれなくなり、この身を投げ捨ててしまおうと考える人もいるでしょう。
この苦しみから逃れるためには、死んでしまったら楽になれる、死んだ方がましだ、生きてても意味がないと・・・・・・
なかなか荷物を捨てる事ができないのが、この私たちです。
煩悩まみれであり、日々荷物が増えている、それではいけないと思ってもすぐに元に戻ってしまう。
法然上人は、どんな愚かな者でも、阿弥陀様はお念仏を称えすればお救いくださるとお示し下さいました。私たちはそのみ教えを信じ、自らの愚かさを日々省み背負っていかなければいけない荷物を少しでも軽くする為に、み仏様と対峙して、お念仏の生活を送ってまいりましょう。
「死にたいこともあったけれど 生きていたからよかったね ここで こうして こうやって 不思議な不思議なめぐり合い あきらめなくてよかったね」 やなせたかし