オフィシャルブログ

住職法話6月「困難な道」

このエントリーをはてなブックマークに追加
Bookmark this on Livedoor Clip
Bookmark this on Yahoo Bookmark
LINEで送る

星野富弘さんという方をご存知でしょうか。

24歳の時に不慮の事故で手足の自由を失っても、前向きに生き、口に筆をくわえ、詩や絵を描いて、50年。命の尊さを伝えておられます。

本の題名にもなっている「鈴の鳴る道」のエッセイをご紹介させていただきます。

 

電動車椅子に乗っていると、少しのでこぼこでも進むのが大変だ。
だから、なるべくでこぼこの道は避けて通ってきた。
知人から小さな鈴をもらって、車椅子につけた。
偶然、でこぼこの道を通った。いやだと思いながら。
そのとき、何とも言えない心に響く鈴の音が聞こえてきた。
何度も何度もそのでこぼこ道を通って鈴の音を聞いてみた。
その日からでこぼこ道を通ることが楽しみになった。
「人も皆、この鈴のようなものを、
心の中に授かっているのではないだろうか。」
その鈴は、整えられた平らな道を歩いていたのでは鳴ることがない。
人生のでこぼこ道にさしかかったとき、揺れて鳴る鈴である。
美しく鳴らしつづける人もいるだろう。
閉ざした心の奥に、押さえ込んでいる人もいるだろう。
私の心の中にも小さな鈴がある。
その鈴が澄んだ音色で歌い、キラキラと輝くような毎日を送りたい。
私の行く先にある道のでこぼこを、なるべく迂回せずに進もうと思う。

 

辛く困難な道をどうしても避けることができなく、覚悟を決めて進んでいく、いや、あえて困難な道、でこぼこ道を進む。その時に鳴る鈴の音色は私たちを癒してくれます。

このコロナ禍で人生設計ががらがらと崩れた方は少なくありません。

避けて通ることのできない時に、信仰の鈴がしっかりと自分の心にあるのか。それが信心であります。

すべて阿弥陀様任せで過ごしていきましょう。頑張らなくていいのです。頑張るの語源は「我を張る」。張り詰めたままでは心も身体も病んでいきます。阿弥陀様に委ねてまいりましょう。合掌