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住職法話5月「お念仏と共に」

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八木重吉さんという詩人が、こういう短い詩を書いています。

「草をむしれば あたりが かるくなってくる わたしが 草をむしっているだけになってくる」

念仏者は

「念仏すれば あたりが かるくなってくる わたしが 念仏をもうしているだけになってくる」

ただひたすらに念仏を称えている、念仏三昧になっていけば、念仏が相続できたことになるでしょう。

吉田兼好さんの「徒然草」の第39段に

ある人が法然上人に「念仏を唱えているとき、睡魔におそわれ仏道修行をおろそかにしてしまうことがあるのですが、どうしたらよろしいでしょうか」と訪ねたら「目が覚めているときに、念仏を唱えなさい」と答えたそうです。とってもありがたいお言葉であります。

頑張れと励ますわけでもなく、眠るなという事もなく、ありのままでいいんだと。

寛容なお言葉であります。しかし、それに怠けるのではなく

「信をば一念に生まると信じて、行をば一行に励むべし」

1回のお念仏でも往生できるみ教えであると信じで、お念仏の修業は一生涯続けてまいるのであると、法然上人はおっしゃっておられます。

是非とも、一生涯、お念仏と共に生きてまいりたいものです。